「貸した相手に催促はせず、返せないようなら借金をなかったことにするように。」は、加賀百万石の基礎を築き上げた前田利家の言葉です。
自身が金銭に困った経験を踏まえ、ほかの大名や家臣など周囲の人たちが困らないように資金を貸したしていたそうです。この言葉をはじめ前田利家が残した名言を紹介します。
「貸した相手に」の解釈
秀吉は朝鮮出兵や大阪城や名護屋城の築城の際、各地の大名からその資金を出させていました。
そのため金銭的に苦しい思いをした各地の大名に、利家は多額の金銭を貸していたそうです。
その取り立てについて、このような言葉をのこしています。
利家は、金銭に困らないよう家臣にも資金を貸していたそうです。
前田利家の生涯
前田利家は1538年に生まれ、豊臣秀吉の1歳年下で、豊臣政権下で加賀藩(現在の石川県)を治めた大名です。
10歳で織田信長に仕えます。
信長の命により31歳で兄利久に代わって前田の家督を継ぎました。
43歳のとき、上杉謙信の死後、戦乱の末、能登の地が、織田方の支配する処となり、前田利家に与えられ、利家は始めて一国の領主となりました。
60歳の折、豊臣政権下で五大老の一人として重きをなすこととなりました。
晩年の秀吉は利家に秀頼を頼むとくり返したそうです。
1599年、秀頼と前田家の行末を案じつつ63歳の生涯を終えました。
そのほか前田利家の名言
「人間は不遇になった時、初めて友情を知るものだ。」
利家が若いころ茶坊主が前田利家に無礼を働いた為に、これを斬り殺してしまいました。
これが織田信長のお気に入り茶坊主であったため、信長は大激怒し、利家を勘当しました。
それまでは信長の側近ということで、色々な人が寄ってきたにもかかわらず、勘当後は無職となり、みんなに敬遠され、生活にも困っておりました。
それを助けてくれたのがご近所だった豊臣秀吉だったそうです。
境遇が順調なときには多くの人が寄ってくるかも知れません。
しかし、挫折や不調の時にこそ、誰が本当に自分を支えてくれるかがわかります。
深い信頼に基づく人間関係を築くことが重要であるという利家の教えです。
「悲運に沈んで、友の善悪がわかる。」
困難な時こそ人間関係の本質が試されるという人生の真理を指摘しています。
「本当によく考えている人というのは、先を見通している人だ。」
利家は、織田信長や豊臣秀吉に仕えながら、常に冷静に未来の可能性を探っていました。
ただ目の前の状況に対処するだけでなく、未来を見据えた判断をすることこそが「よく考える」ことであると説かれています。
「人には出来不出来はあるものにて候。」
人間には得手不得手あり、誰もが全ての面で完璧であるではありません。他人に対して過度な期待を持たず、個人の違いや限界を受け入れるべきだという教えです。
「武門とは審議の番兵であり、人の生涯は心に富を備える為にある。」
武道の本質は戦いや武力にあるのではなく、正義を守る心が大切であり、人生を通して精神的な成長を優先することであると教えています。
「戦場に出ては、我が思うようにして、人の言うことを聞き入れぬが良し。」
戦場では、刻一刻と状況が変化するため、他人の意見に左右されると、自分の戦略がぶれて好機を逃し、失敗する可能性があります。判断を他人に任せず、自分の責任で決断することが良いと教えています。