「戦いは、四十歳以前は勝つように、四十歳からは負けないようにすることだ。」
この言葉は、年齢に応じた戦い方や心構えについて説いています。
若いうちは挑戦を恐れず、リスクを取ってでも新しいことに挑戦し、勝ちを積み重ねることが成長の原動力になります。
年を重ねると、無駄なリスクを避け、守りを固めることが長期的な成功につながるという教えです。
武田信玄の戦略と民政
甲斐国(現山梨県)を中心にして広大な版図を築いた戦国大名です。
怒涛の攻撃で徳川軍を圧倒した三方ヶ原の戦は有名です。
また上杉謙信との川中島の合戦があまりにも有名ですが、政治家としても優れた手腕を発揮しています。
例えば、新田の開発を可能にするため、釜無川に信玄堤を築いて氾濫を抑えるなど、民政に力を入れていました。こういったことが、領民に慕われ、現在も郷土を代表する英雄として人気を集めているゆえんです。
そのほか武田信玄の名言
「自分のしたいことより、嫌なことを先にせよ。この心構えさえあれば、道の途中で挫折したり、身を滅ぼしたりするようなことはないはずだ。」
この言葉は、自己管理や成功のための心構えを説いています。
面倒なことや嫌なことを後回しにすることで、精神的な負担が増し、結果的に挫折や失敗を招くことがあります。
特に、自分のやりたくないことや面倒だと感じることを先に片付けることで、気持ちが軽くなり、やりたいことにも集中しやすくなります。
そして、道半ばで挫折することを防ぎ、人生をより良い方向へ導くことができると教えています。
「渋柿は渋柿として使え。継木をして甘くすることなど小細工である。信頼してこそ人は尽くしてくれるものだ。」
この言葉は、人や物事をその本来の特性や個性のまま受け入れることの重要性を説いています。渋柿には渋柿の良さがあり、それを認めて適切に使うことで本来の価値が発揮されます。無理に他者を変えようとするのではなく、信頼してそのまま活かすことが大切であるという教訓が込められています。
信頼関係は人間関係の基盤です。相手を信頼せずに無理に変えようとしたり、疑念を持ち続けていては、相手も心を開かず、真剣に尽くすことはありません。相手を信じることで、相手もまた誠実に応え、最大限の力を発揮するようになります。このフレーズは、信頼が人間関係を築くための土台であることを強調しています。
「勝敗は六分か七分勝てば良い。八分の勝ちはすでに危険であり、九分、十分の勝ちは大敗を招く下地となる。」
この言葉は、過度な勝利を追い求めることの危険性といかに「バランスを保つこと」が重要かを説いています。
この教えは、
①適度な勝利に固執せず引き際を見極めることが、長期的な成功を導く。
②完全な勝利を目指すと、かえって自分を危険にさらしてしまう。
といった全体の安定を図るためのリスク管理の考え方です。
「一生懸命だと知恵が出る。中途半端だと愚痴が出る。いい加減だと言い訳がでる。」
この言葉は、人の取り組み方によって結果や反応が変わることを示しています。
- 一生懸命だと知恵が出る
物事に一生懸命取り組むと、困難を乗り越えるための知恵や工夫が自然と生まれ、問題を解決する力が湧いてきます。 - 中途半端だと愚痴が出る
物事に中途半端な姿勢で取り組むと、うまくいかないことが多くなり、不満や愚痴が出てきてしまう傾向があることを表しています。 - いい加減だと言い訳がでる
物事にいい加減な態度で向き合うと、うまくいかないことを他人や環境のせいにしたり、自分を正当化するための言い訳が増える。
「もう一押しこそ慎重になれ。」
この言葉は、物事があと一歩で成功しそうなときこそ、気を引き締めて慎重に行動するべきだという教訓を伝えています。
言葉の背景には、目標に近づくと気が緩んだり、油断したりして失敗を招く可能性が高くなるという考えがあります。
吉田兼好の徒然草に「高名の木のぼり」という件(くだり)があります。
木登りの名人が、高い木に一人の男を登らせて剪定作業をさせていた。
降りて来る時、地上まであとわずかのところで「危ないぞ、気をつけろ!」と声をかけたという。
高いところでは注意しろとは言わなかったのに、なぜなのか?
名人は答えた。
「高いところにいる時は十分注意する。過ちというのは、やさしい所に来て『もう大丈夫』と心に油断ができた時に起きるものだから、声をかけた」と。
なるほど、人は緊張感がゆるんだ時に失敗しやすいのだ。
木に一人の男を登らせて剪定作業をさせていた。 降りて来る時、地上まであとわずかのところで「危ないぞ、気をつけろ!」と声をかけたという。
「百人のうち九十九人に誉めらるるは、善き者にあらず。」
この言葉は、誰からも称賛されることが必ずしも良いことではない、という警句です。
称賛の多さをそのまま価値とするのではなく、慎重に判断することが大切です。
流行や世間の評価に流されず、批判的な目線や少数意見にも耳を傾けることで、自分の目で本質を見極め、本当の価値を見つけることができるという意味合いも含まれています。
「自分が死した後は、上杉謙信を頼れ。また三年間を喪を秘せ。」
この言葉は、武田信玄が晩年に家臣たちに遺したとされる遺言の一部で、信玄の死後の家中の方針や戦略を示したものです。
武田信玄と上杉謙信は長年にわたり川中島で激しく戦った宿敵同士です。
しかし、戦いの中で互いに武将としての実力や人間性を深く理解し尊重し合っていました。
信玄は謙信の義理堅さや人徳を評価しており、謙信なら武田家に害をなさないと信じていました。
そのため、信玄は自らの死後の混乱を避け、武田家が上杉家と敵対しないことを望んだのです。
また3年間の秘喪を命じたのは、信玄の死を隠すことでその間に家臣が内部を整えるためです。
後継者である勝頼が家中をまとめるための時間を稼ぐ意図がありました。
この遺言は、信玄の慎重さと先見の明を示したものです。
家を守るための最後の戦略であり、家臣たちに対する信玄の深い思慮と家族への愛情が込められています。
風林火山 –
疾(と)きこと風の如く
徐(しず)かなること林の如く
侵掠(しんりゃく)すること火の如く
動かざること山の如し
- 疾きこと風の如く(ときこと かぜのごとく)
→ 風のように迅速に動き、素早い行動により敵に隙を与えない。 - 徐かなること林の如く(しずかなること はやしのごとく)
→ 森のように静かに、整然と陣形を保つ。無駄な動きを避けて、冷静さを保つ。 - 侵掠すること火の如く(しんりゃくすること ひのごとく)
→ 火のように激しく攻撃し、敵を焼き尽くす勢いで進む。そして徹底的に攻撃する。 - 動かざること山の如し(うごかざること やまのごとし)
→ 山のように揺るがない姿勢で、防御は強固に行う。
この言葉は、柔軟な戦術と迅速な行動、冷静な判断力の重要性を説いています。現代のビジネスや日常の局面でも指針として使われることがあります。