「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」は、江戸時代中期の米沢藩主で名君と称された上杉鷹山の言葉です。
このフレーズは、心に響く言葉として、誰もが知る名言です。鷹山は他にも多くの名言を残しています。その中から「為せば成る」をはじめ5つの名言を紹介します。
「為せば成る」の解釈
どのようなこともやる気と強い信念をもって一生懸命にやり通せば、必ず結果が出る。成果に至らないのは、成し遂げる強い意志を持って行動しないからだ。
上杉鷹山が与えた家臣への訓示だそうです。
上杉鷹山の生涯
上杉鷹山は、江戸中期の大名です。10歳で上杉家に養子に、明和4年(1767年)17歳で米沢藩9代藩主となりました。
10代将軍 徳川家治時代(1760年 – 1786年)のころ、田沼 意次が老中として活躍した時代(1751年-1789年)です。
当時は、天明の飢饉(1782~1788)(や明和の大火(1772)、浅間山の大噴火(1783))などが起こり、大変な時代でした。
藩の歳出が、歳入の3倍にも膨れ上がった大赤字で莫大な借財を抱え困窮し、領地返上寸前の財政を、藩士や下級武士、庶民と共に改革を進めて、見事に立て直しました。
また、正室の幸姫は、発達障害だったといわれており、姫が30歳で亡くなるまで、ままごとの相手をするなどして、大切に、仲睦まじく暮らしたといいます。
鷹山は35歳で前藩主の上杉重定の実子に家督を譲り引退。後見人として藩政を指導し続け、70歳で疲労のため逝去したとのことです。
そのほか上杉鷹山の名言
父母の恩は、山よりも高く、海よりも深い。
この恩徳に報いることは到底できないが、
せめてその万分の一だけでもと、
力の限り努めることを孝行という。
人間は、いつも張り詰めた弓のようにしていては続かない。
物を贈るには、薄くして誠あるを要す。
物厚くして誠なきは、人に接する道にあらず。
してみせて
言って聞かせて
させてみる
後の山本五十六元帥は、この訓示を「やってみせ、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば、人は動かず」と言い変えています。